ABOUT

1980年代、京都にはニューウェーブの波が押し寄せていた。その波に吸い寄せられるように、面白い”人” “ハコ” “ショップ”が押し寄せ、伝説的なシーンを作り出していた。1990年代の音楽業界やファッション業界を大きく揺さぶる人物たちが関わり合い、互いのセンスを磨きあい・勝負していた時代があった。
佳山シンゴ(談)「1980年代、ポップグループ とNO NEWYORKを聞いてからいわゆる京都のニューウェイブシーンに浸かっていた。東京ロッカーズの最初の西部講堂から(アントサリーと 21センチュリーボーイが関西から参加してた。)、XTCの西部のライブ(P-Modelと東京ロッカーズ)、立花ハジメのHの発売記念ライブ(京都会館  別館)など、京都ニューウェーブシーンにリアルタイムで関与。当時、ライブハウス拾得内にあった、ハイカラ万華店のオーナーでノーコメンツのプロデューサーだった北山和可氏と活動を共にした。当時はEP-4の佐藤氏も北山氏と仲がよくデビュー前のノーコメンツともいっしょでした。」
脈々と流れている京都のニューウェーブシーンの真ん中に居る彼が活動していたバンドをMardigrasRecordsが紹介する。

HIP-SEE-KID

北山和可氏、ケン山崎氏プロデュースによるジャジー・ニューウェーブ。キャプテンレコードのオムニバス・アルバム『KYOTO NIGHT2』で2曲参加。1と2があり、1はEP-4関係(スタック)で、2が北山氏主宰のマルディグラ関係なり。マルディグラレーベルからアルバム1枚出ています。メンバーとして、現MONDO GROSSOの大沢伸一がBASS、現Cosmic Village の黒羽康司がDrでした。ライブは京都CBGBと五条通りにあったザ・シーン(UB40の京都公演やPILの 京都公演の後の打ち上げ会場)という箱が中心でした。ライブはローザルクセンブルクと少年ナイフがいつもいっしょでした。ローザのプロデュースは当時北山和可氏がやってました。
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HYSTERICS

HIP-SEE-KIDと平行してやってたのがHYSTERICS。これも上記『KYOTO NIGHT2』に収録。プロデューサー、コンポーザー、DJとマルチに活躍している大沢伸一が10代に在籍した、京都で活動するガールズポップバンド。1960年代のbubble gum MUSICをベースしたキャッチーなビートに、ボーカルのMIHOがニセモノのPOP MUSICを素っ頓狂に歌い上げる。メインストリームから外れたZEレコードやYレコードの世界観が好きな人は必聴!Guitarに大沢伸一、EP-4のGuitar の好機(チャンス)たつお氏がゲスト参加。京都ウーピーズを中心に活動。「ロリポップ・ソニックやミントサウンドの連中とよくやりました。」(談)
2016年奇跡の活動再開。マルディグラレーベルも再稼働。アルバム「Who are we?」をリリースし、京都ニューウェーブシーンの今を伝える。
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FAIRO VANZ


14人編成のホーン中心のバンドでメンバーが笑えます。Guitarが大沢伸一と現ウルフルズのトータス松本(このバンドはVoがないので 彼はよく魂ゆさぶる歌を唄わせろ!と怒ってました。)、Drにジャンク・ジャンル・ジャングル・レニグラード・ブルースマシーンのDrの浅井猛、Perに ノン・カテリアンズ、ローザルクセンブルク、ファイヤークラッカーズのアンディ、Keyにハミングスの上田禎と言うメンバーで京都ウーピーズ、京都メトロ、大阪ダイナマイト等のクラブにでてました。京都ウーピーズのオムニバスCDに参加。メンバー構成を刻々と変えながら変化し続けるインスト・ブラス・ニューウェーブ